ブラジルW杯まで200日を切り、選手も見てる側も否が応でも意識が強まるこの頃。
個人的には夏が近づいてきてフラッシュ脱毛の痛みを思い出す日々ですが。
代表で不動の地位を築いている者ならいざ知らず、当落ラインギリギリの選手たちは
蓄積疲労がMAXになり始めるこの頃からが本当の勝負。
しかし各国の代表の顔ぶれを見てみると、随分と時代は変わったなぁ…と。
それだけ私も年をとったということで、昨今、ピッチを去っていく選手たちの顔ぶれに
何度となく味わう寂しさはやはり拭えないもの。
色々と思い返すと、こんな選手もいたなぁ…と記憶が蘇ってきました。
ということで、何となく私的な記憶に残る選手をピックアップ。
選出期間は、私がサッカーというものを理解し始めた98年W杯~08年ユーロ辺りまで。
08年から10年の間が大まかな世代交代のラインの様な気がするので。
バロンドールや年間最優秀賞等の受賞歴等は一切無視。
今回は、方針の転換から素晴らしい若手育成の地盤を築いたドイツ代表。
もう私の中でドイツ代表といえば、中盤でドイツがドイツであることを示した3人、
バラック、シュナイダー、フリンクスが出てきます。
今となってはもう3人とも現役引退しましたが、02年の日韓大会から08年ユーロまで、
(シュナイダーは08年ユーロはヘルニアのために召集外となったが)
中盤を制し、チームの浮沈がこの3人にかかっていたと言っても過言ではない。
一般的にこの頃のドイツ代表で取り上げられるのは、カーンやクローゼですし、
怪我に泣かされたダイスラーの存在もありましたが、やっぱりこの3人で。
盤上の王様がバラックなら、彼の伏兵とも言えたのがシュナイダーとフリンクス。
結果論で言えば、バラックの代表歴を語る時、この2人とは切っても切り離せない。
殊更、右サイドから中盤の底へとポジションを移動したフリンクスは、
“影のボス”と呼ばれるほどで、バラックを操れるのもフリンクスのみだと言われました。
バラックとフリンクスの場合は、本人同士の舌戦もあり、
「どいつもこいつもバラックバラック…ドイツで一番のMFは俺だろ」
「まあ、ドイツ一だって言ってるから、俺なしでもやれんだろ?え?」
と、メディアを通して、仲良く喧嘩しな状態だったのも面白かったですけどね。
まぁ、2人とも言いたいことは素直に口に出してしまうタイプなので、
代表監督との関係が最終的に喧嘩別れに近い形になったのも、偶然なのか、必然なのか。
私が一番好きなのは、その中で黙々と走っていたシュナイダーなんですが。
ドイツらしい固さと、ドイツらしくない柔らかさを兼ね備えた選手でした。
また、サイドからセンターまでどのポジションも高いレベルでこなすことも、
他の2人にはない素晴らしい彼の強みでありました。
ちょっと前のサネッティがインテルでそんな状態でしたね。
こういう選手は仕合中のポジションチェンジにも対応可能で、
それだけ試合の流れ、監督の意向を読み、戦術理解にも長けている証拠。
また、それを実行するだけの技術を兼ね備えた希有の存在です。
たまたま1試合、アクシデントでこなすだけとはワケが違います。
補正が入るならば、レバークーゼンにサッカー人生を捧げたという点。
何か弱いんですよね、こういうの。別にふらふらする選手は嫌いじゃないけど。
一人のチームを支配する皇帝と、その皇帝に噛み付き、尻を蹴飛ばしながらも
ピッチに立てば汗をかく裏の皇帝と、それを傍目に黙々と走り続ける仕事人。
個性も、技術も、闘争心も、それぞれにそれぞれが持ち合わせて融合した当時のドイツ中盤。
シュナイダーは既に裏方として働いているみたいですが、いつかはそれぞれ、
バイヤン、レバークーゼン、ブレーメンの現場に戻ってきて、
今度はベンチから戦う姿が見れるかもしれません。
その時には、監督としてのバラックとフリンクスの舌戦に期待しましょう。